新しい職場での仕事が始まった。引越しをした。姉の子どもが産まれた。祖父が亡くなった。


新年早々、たくさんのおわりとはじまりがあった。新しい仕事がまだ研修期間であることに加えすでにかなり休みがちになってしまっているのでこちらははじまり即おわりになる可能性があるが。


産まれるの対義語はなんなのだろう、と考えている。

一般的には、おそらく多くの人は「死ぬ」であると言うだろう。知らないけど。

でも、どうにもしっくりこなくて、考え続けている。まだどうなるかは、秘密。


今日、父から祖父の仏壇の写真が送られてきた。震災後に祖父母の家は建て替えをしたのだけれども、置くスペースも計算済みだったようで、父曰く計画通り、だそうだ。祖母曰く、祖父は家には帰ってないらしい。おととい骨壷が ことり と音を立てただけ。

お見舞いも葬式も行かなかったジジ不幸者だけど、会いに来てくれていたらいいな、と思う。恋人をみたらなんというだろう。変わり者だったから、会わせてみたかったなぁ。


話は変わるが、福山リョウコの漫画が好きだ。現在連載している『覆面系ノイズ』で、主人公が書いた歌詞に「おわりとはじまりは背中合わせ」というものがある。


姪が産まれ、祖父がいなくなった世界でのわたしの生活がはじまる。

引越し当日。

なんとか旧居の荷物を全部運び出して、必要なものの買い出しに行って、今恋人の実家でこれを書いている。


引越し会社を使うお金などなかったので、引越し先から近い恋人の実家に荷物を置かせていただいているのだけど、義母と息子、すなわち彼氏の母と彼氏の会話で荷物はいつ持っていくんだ、という話になり申し訳なさでいっぱいになっている。


明後日は、恋人の兄弟の方にも手伝っていただき家具の搬入をする。ありがたい。そして申し訳ない。


私にできるのは、今日なるべく荷物を運び出すことと物を減らすことだ。

そう言い聞かせて、束の間の休息。

出社出来ず。

電話もできなくて、なんとかラインで連絡するも返事がなくて、解雇かなぁとか考えている。上司も今プライベートが大変な時期で、申し訳なさすぎる。こわい。申し訳ない。


昼間はずっと臥せっていた。

夜、恋人が帰ってきて、慌ただしく引越し準備をはじめて、なんとか私も動き出す。

そのあと彼が少し鬱気味になってしまって、私が彼をここまで追い詰めてしまったんだなとやっと気付いた。

自分で飲酒して大丈夫にしていたけど、その方法も不安だなぁと思いながら、何もできなかった。


引越しのどたばたなども含めて、彼と私が一緒にいることは難しいのではないか、と最近思う。

元々お互い人と暮らすことに向いていなかった。そして私はまだ職が安定していなくて、彼に経済的にも精神的にも体力的にもかなりの負担をしてもらっている。


私から彼の元を離れるという選択肢はない。

せめて、離れることになってしまったとしても、それまでは彼を支えられるように。私が臥せっていたときに彼がしてくれていたように。どうか私の心身がそれまで持ちこたえますように。

そう祈り、決意し、腕を切った。

ここ数日はずっと希死念慮に追われている。

いつものように落ち込み考え込んで、人に助けと肯定を求めて。

落ち込む理由もひとまず自分を落ち着かせる理由も、ここ数年ずっと同じだな、なんの進歩も学習もないな。


自動車の運転が楽しい。運転している間は、他のことを考えなくて済む。

ピアノも弾きたいな。数ヶ月触れていないから、ただでさえ動かなかった指はきっともうまったく動かなくなっているだろう。


頭がぼんやりと痛んで重い。すきあらばすぐ眠ろうとしてしまう。人と話すことがこわい。終わった会話を、後から振り返って不快にさせなかっただろうかなどと反省会をしてしまう。浮き沈みが激しい。


あんなにどうでもよかった健康が、いまはほしくてたまらない。煙草もだいぶタールを下げて、本数も減らしている。


引越しがある程度落ち着いて、仕事も落ち着いたら、私の状態も落ち着くと信じて、いまはただひたすらやり過ごすしかない。

大丈夫。まだまだだよ。

1月

ひとつき近く何も書かなかった。


新しい仕事がはじまり、引越しが決まった。

恋人と休みの予定が合うことも減り、そんなときに(自業自得ではあるが)容赦なく押し寄せる引越し準備。もうどったんばったんで生活している。


ものが減っていく部屋を見ていると、ここはこんなに広かったんだなぁと思った。

本に限らず私はとにかく物が多い人間で、いい機会だと言い聞かせて色々なものを断捨離している、けれど、やはり少しの寂しさがある。


ミニチュアや文房具が好きで、お金も飾る場所もないくせにたくさん集めていた。文房具に至っては、かわいすぎて使うのが勿体ないという理由で、あの子たちのアイデンティティを満たさずしまい込んでいた。

手元に気に入ったものがあることは、私を生きやすくしてくれる手段だと思っていたけれど、いつのまにかそれらが私の現実的な生活を圧迫していた。

それなら、気に入ってなおかつそれを使える/使ってくれる人の手元へ、と思い、フリマアプリに出品しまくっている。


昨日、不動産屋さんに行ったついでに、もう一度新居を見に行った。今よりは広くなるけど、それでも今のものをすべて持って行って、さらに恋人のものも置いて。それを考えたらあまり広くない部屋。

来月から、私はここで生活をする。大切で仕方がないひとと。


昔は、優先順位をつけるのがあまり得意ではなかった。ものにも、タスクにも。

でも、今は明確な、優先すべきひとがいる。

仕事も、勉強も、研究も、大学生だった頃よりははるかに優先すべきものがわかる。

大人になった、ということなのかな。


大人になることは寂しい。

私の考える大人は、我慢が生活のほぼ大半を占め、生きていくことを疑わず、現実的な生活を送るひとのことだ。

だから、それなら、私はずっと、自分がいつ死ぬかわからないという思いを持ち、疑問に思ったことを大事にしたい。ある種の儚さをまとった少女でいたいとずっと思っていた。これは今でも変わってはいない。

変わったのは、私が抱く大人像の方なのだろう。


きっと、大人になっても、私は上記の憧れを捨てられないし、捨てる必要もない。少女はもう年齢のおかげで無理かもしれないけれども。


大人だって、そんなにかっちりしていない。それに、人間の数を考えれば、みんながみんなそうである訳がない。


私は、私がなりたいと望む人間像を抱き、それを目指して、大人になろうと思う。

今でも、ニュースを見てこの世界に絶望をしてしまうけど、それでも。遠回りをしてでも、確かな足どりで、私はこの世界を、生を、やっていく。

ここ最近の日記

25歳になった。

だからといって劇的に何かが変わるわけではないけれど、それでもここまで生きられたと少しの安心感を得られる。


昔の私は本当に嫌な奴だった。今もそうだけど。

周囲を見下し、大人ぶり、すべてをナメてた。今でも完全に改善されたわけではない。

でも、少しずつ、本当に少しずつだけど、いろいろな人と出会ったり関わったり働いたりして、ましになってきたと思う。これでも。


最近は、前職場でお世話になった先輩や京都に来てからずっと助けてくれた恩人などに会ったりした。

職場が変わると、前のところの方々と友だちになれるから嬉しい。やっとこっちに根を下ろした実感が湧く。


話は飛ぶが、宮城にある祖父母の家は、震災のときにぼろぼろになってしまい建て直しをした。陽当たりも間取りもよく、居心地がよい。

祖母に以前、ばあちゃん死んだらこの家くれなどと言った(正確にはいいなぁと私が言ったのを聞いた父が上記のように言った)のを聞いた祖母は、でもどうせ結婚して違うところに行ってしまうべ、とちょっと寂しそうに言っていた。そのときはそんなん絶対ないよと言ったが、今、結婚ではないにしろ関西に落ち着いているので祖母の言った通りになりつつある。


宮城にはもう一年近く帰っていない。もうすぐ姪っ子ができる。

関西に根をはっても、家族のことを嫌いだと言っても、確かに私は宮城で育ち、彼らと暮らして、そして今がある。

全部続いていることに嬉しさを感じてしまうのは、私もだいぶ丸くなったということなんだろう。

スイッチを作れない


日記を書かねばと思いスマホをしゅっしゅしていたが全然だめだった。明日あたりまとめて書けるかな。


最近自覚したのだけど、とにかく一度落ち着いてしまうと何もできなくなる。惰性でtwitterを見たりスマホで漫画を読んだり。

家事をやらなきゃ、あぁあとあれもあったな、おばさんにも連絡したいな、などと思うのだけどとにかくからだが動かない。なんなんだこれ。


はじめは、鬱でまだ動かないんだろうなと思っていたのだけど、出社できなくなってからも退職してからもずっと続いている。そんなんで横たわるしかないので夜は眠れない。やる気と体力が先走りして、自己嫌悪がすすむ。


怠け癖がついたんだろうか。でも、去年鬱の診断がついたときはこんなことになってなかった気がする。おかしい。

ということで、これは多分からだを動かすためのスイッチが壊れたんだな、と納得することにした。実際どうかはさておき。


私はたしかになるべくごろごろして暮らしたい。家事も向いてない。部屋は汚い。

それでも京都に引っ越してきて大学に入学したときは朝ちゃんと早く起きて一限にも行けた。実家から大学に通っていたときはどんなに起こされても逆ギレして眠っていたのに(お母さんごめん)。大学に行くのも苦痛じゃなかったし、バイトも合わないところもあったけど落ち着けるところが見つかり仕事は楽しかった。家事もまぁ、最低限は。


今は、とにかく何もできない。夜にシャワーを浴びる気力がなくて、朝にシャワーを浴びるのだけど、外に出る用事がなければ恋人にせっつかれない限りいいやと思ってしまう。本もなかなか手に取れない。


スイッチが壊れたと思う、と恋人に話をしたら、彼もまぁ納得したみたいで、それなら新しくスイッチを作ったらええんや、と言ってくれた。

ただ、そのスイッチの作り方がわからない。今までは、とにかくがんばるが根底にあった。大学のときは単純に友だちがいないから講義出なきゃっていうのと講義が面白かったから違うけど。

でも、その結果スイッチは壊れてしまった。今まで通りのスイッチで動こうとすると、精神もからだも拒否反応を起こす。

そのスイッチは、ずっと実家で両親や姉と暮らしていた時に出来たものだ。私は他のスイッチを知らない。どうやって出来たのかも。


幸い、支えてくれるひとたちがいる。とりあえず、現時点では自死を選ぶつもりはない。助けを借りながら、抜け出せたらいいな。