軟骨にピアスを開けた。

ピアスを開けると、なぜだか安心する。

私は皮膚が弱くてホールがなかなか安定しないのだけど、それでも性懲りも無く開け続けている。


初めてピアスを開けたのは、高校2年のときだった。当時すきだった人が覚悟のしるしに、と開けているのを真似て、彼に開けてもらった。そのとき何を覚悟したのかは覚えていない。でも、開けるときはいつも何かを区切ろうとするときだ。


軟骨に開けたのは初めてだった。いっこめは失敗してしまい、その数日後にもう一度開けた。その子はまだ馴染んではいないものの、私の耳に居てくれる。


ホールが安定した頃には、最初の頃のような安心感は消えてしまう。多分、ある種の達成感のようなものを感じたいのだと思う。痛みをこらえることができたという証。


就職が決まったから、いままでのように何も気にせずピアスを開けることはもうできない。でも、それでも、きっと私はまた震える手でピアッサーを耳にあてるだろう。

帰省をすると、改めて友人の死を実感する。私が帰ってくると、深夜に落ち合ってぶらぶらしながら話をするのが恒例だった。さみしい。半年経っても、彼女がいないことに慣れない。


帰省の前には、好きなひととさよならをした。というか、フラれた。

生きてるひとと死んでいるひと。どちらのお別れも、自分自身を消してしまいたくなるくらいつらい。わたしはひとりで立てないんだなと改めて痛感する。


6年ぶりに、高校の同級生と会った。もう繋がらないだろうなと思いながら送ったラインは予想に反して軽やかな返事を知らせ、深夜にファミレスでだらだら話をし、そのあと私のわがままで山に連れて行ってもらった。楽しい夜だった。


切れたと思っている縁も、切ってしまったと思っている縁も、思いの外薄くでも繋がっているんだな、とまで思ってしまったらつけあがりすぎだろうか。

でも、例え薄くでもいいから、私が好きな、大事なひとたちとは縁が繋がっていてほしいと切に願う。ひとりで立てない私を、どうか助けてくれる糸に。縋らせてほしい。ゆるしてほしい。

親戚の家の犬が亡くなった。

彼は祖父母の家にいる犬と仲が悪くて、あまり会えなかったし遊べなかった。

ぎゅうって抱きしめて顔をなめてもらってから見送りたかった。

ここ数日ブログを書こうとしたが、なかなか言葉が出てこなかった。今でもそうだが、いい加減少し頭をすっきりさせたいので、ちょっと引っ張り出してみようと思う。

思えば、まわり道ばかりしている。

3年も通った大学、そして東北を離れ近畿の別の大学に移り、卒業しても就職せずフリーターでふらふらして、過労でうつ病になった今になって就職活動をはじめた。看護学校を受験したのも、本当に今後のお金のためだった。

なんというか、生きるのが下手だなぁ、と思う。

こんな私に、母はそんな風に産んでしまってごめんね、という。多分、父のことを見ながら。

私の性格は父親そっくりで、最近まで親というよりも年の離れた双子のように思っていた。

そんな父親は少し変わり者で、関わるひとを選ぶ。

彼女は私をそんな風にしたくなかったのだろう。

でも、私が今このような人間になったのは、自分が私を産んだからなんてどんな驕りだよ、と怒りを覚える。

たしかに産んだ以上ある程度の責任はある、だって私はうまれたくなかった。それに一緒に暮らしていたときも私は苦しくて、それに耐えられなくなり宮城を離れた。彼女は私にカウンセラーか、下手したら母親のポジションを求めている。そのせいで人格もある程度歪んだ。

彼女は私と、完全にとはいかなくともある程度一体だと思っている。おそらく。そのくせ理解ができない私の性格を全部父親のせいにしている。

私はそれが気持ち悪くて仕方がない。だって、なんて幼いんだろう。自分のことを社交的だと思っているようだけど(実際そのような仕事をしているし)、実際は父親以上に付き合う相手を選ぶ。そしてその結果、いま彼女には友達がほぼおらず、遊びにいったり愚痴を言ったりするのをすべて娘、私と姉に求めてくる。

なによりも、それを自覚できていない。

私が京都に越してきてから、彼女が年末に関西に来て一緒に遊ぶのが恒例になっており、今年も行く、との連絡がきた。私は就職活動とかバイトで年末のスケジュールがわからない、と返事をした。忙しいのね、という一文から、なぜ自分が遊びにいくときくらい日程を開けられないの、という不満が伝わってくる。それ以来、私はラインの返事をしていない。

穏やかな日々が続いている。

朝そこそこの時間に起きて、朝ごはんもちゃんと食べて、窓を開けてぼんやりしたり本を読んだり。

こんなにゆったりとした朝をこれまで過ごしたことがなくて、これまで選択してきたことへの後悔とかが消えた。

この間、すきなひとに振られた。

だけどそれは拒否ではなくて、ふれられるし、すきっていうと笑ってくれるから、愛情を、すきを、相手にわたし続けようと思った。ただ、圧にならないように。安心してもらえるように。

相変わらず先は見えないし金銭的にカツカツだけども、なりたい私に、ふわりとしてゆるやかだけどちゃんと芯の通った人間、を目指していこうと思う。

9月7日の日記

暑いよりも寒い方が好きだ。

暑さは自分の輪郭が溶ける気がするけれども、寒さは輪郭がはっきりする気がする。

涼しいから部屋よりも外にいたくて、川辺で眠ったりバイト終わりにコンビニの前でぼうっとしたりしている。夜の散歩にもいい季節。

昨日の夜、精神的な落ち込みの波がやってきて、泣きながらしたくなるままに言葉を吐かせていたら、ふと私がなりたかったものに気づいた。というか、思い出した。

私はひとを助けられるようになりたかったんだった。助ける、というのもおこがましい気がするけど。

するりと手をさしだせる人間になりたい。

それなのに、誰にもなにもできなかったし、すきなひとや大事なひとに助けてもらうばかりで、むしろ疲弊させてしまうばかりだった。

自分にとって大事なことのはずなのにすぐ忘れてしまうのは、実は大事に思っていないからなのかな。どうして忘れてしまってたんだろう。

つよくなりたいと思う一方で弱いままでいたい甘えていたいと思うし、ひとりでいたいと思う一方で、アルバイトや就くことを考えている仕事はモロに対ひとの仕事ばかりだ。

これらは両立不可能ではないのだろうけど、バランスがまったくとれない。

結局、どうしてもひとを求めてしまう。寂しくて仕方がない。

恋人が目の前で亡くなった友人がいる。

彼女の話をきいているとき、自分の無力さを思い知った。

でも、彼女が、あなたがいてくれてよかった、たすかったよ、って毎回言ってくれて、無力な私をなんだか許してもらったような、そんな安心感をもらっていた。

彼女のおかげで私は自分を肯定できていたのだと思う。

数ヶ月後、彼女は恋人のあとを追って亡くなった。

またね、とラインがきたから、またね、とあいさつをした。なんてきれいな終わらせ方なんだろうと思った。

ばいばいでもさようならでもなく、またね。

死後の世界とか信じてないし、次も人間に限らずいきものになるなんて絶対に嫌だけど、それでも、私もまたねと言って終わりたい。

またね。

涼しくなってきたので数ヶ月ぶりに窓を開けている。

窓を開けると、いろいろな音がきこえてきて落ち着く。こどもの叫び声、車がはしりさる音、風鈴のからからとした鳴き声、風がざわざわしていく音。

虫さえ入って来なければ窓を常に開けていたいのになぁ。

冬はもっと空気がつめたくなる。一番好きな季節。たのしみだなぁ。