バンドのライブを見に、そして高校の友人と会うために昨日今日と東京にいる。彼女と東京の街を並んで歩いているとき、私はすごく幸福だった。思い出すと泣きそうになる。長い年月をかけて仲良くなったひとは、友人の少ない私にとって本当に大事にしたい存在だと思う。


知らない街で生活をすると、自分の住む街では得られない安らぎを得ることができる。

朝、なんだか無性に本を読みたくなって、勉強がしたくなって、おおきな本屋さんに駆け込んでいた。それをすぐ夢中になって読んでいる。誰も私を知らない。よそ者の自分。心が穏やかで、だけどもぱりっとした、不思議な気分になる。人間に囚われている自分がいないことはなんて幸福なのだろう。


いちど、すべてから距離を置いてみたい。そしてもっと本を読み、勉強をする時間を持ちたい。人間に寄りかからずに生活をしたい。


気分転換のために、体勢を立て直すために、定期的に遠くに出かけることをしようと思う。

髪を染め前髪を切った。視界がひらけて、なんとなく今夜は悪い夢をみないような気がしている。

 

大好きで、憧れで、尊敬してやまない友人がいる。彼女を発見したときからずっと。

でも、私はそんな彼女に甘えすぎて、ちょうどよい距離を壊してしまった。

「いつまで彼女のケアをすればいいんだろう」「あなたは一人では立てない・立つ気がないのだと思う」と言われ、自分の甘えが恥ずかしく情けなくなり、そしてこのままだとまだまだ迷惑をかけ続けてしまうと思い、友人関係でこのようなことをする・言うのは少しおかしいかもしれないのだけど、私は彼女と別れることにした。

 

情緒不安定も落ち着いてきて、そこそこまっとうな生活に戻りかけていたある日、ふと被写体になりたいと思った。写真を撮ってもらうなら彼女がいいと思い、ひと月ぶりに連絡した。ありがたいことに了承の返事が来て、それで安心したのか、あれ以来見られなかった彼女のTwitterを久々にみることができた。

 

彼女は、私が連絡を断ったのと同じくらいの時期に、ある作品を発表していた。

そのテキストを読んで、すぐに私のことだとわかった。私がひとりで、彼女からも自分からも逃げてうずくまっているときにも、彼女は走り続けていて、そしてそこに私がいたことがどうしようもなくうれしかった。

 私は相変わらず弱くて、甘えたで、すぐ逃げ出してしまうけど、前に彼女がくれたことばたちや、この作品を思い出して、少しずつでも変わっていきたい。(勿論いま支えてくれるひとたちやこれまでいろんな人からもらってきた言葉たちのためにも。)

 

あるとき、何かで読んだんだけど、と、何度でも泣く・弱いままでいることも才覚、と彼女は言った。それを久々に思い出して、私はようやく自分の指針を決められた気がする。

どうか弱さを抱えたつよさを持てるように。明日からも自分と手を取り合って生きていく。

眠れなくて、ひたすら文字を打ち込んでいる。あしたも仕事なのに、寝なきゃつらいのはわたしなのに。わたしはわたしに優しくないね。優しい人間になりたいと思うのに、その対象にわたしは入っていない。入ることができないのかもしれない、


日々を過ごすことは難しくて、苦しくて、なんでこんなふうになってしまったんだろうと思うけれども、なってしまったじゃなくてずっとそうだったんだな。それでも死ぬ勇気のないわたしは、泣いて這いつくばって消えたいと泣き叫びながら生きるんだ。おやすみ。

京都に来て3回目の春がきた。でも、最初の頃がどんなだったかは思い出せない。


ふと気がつくと、わたしはとても記憶が薄い人間になっていた。

何度も同じ話を繰り返してしまうし、記憶が定着しない。自分が以前言った言葉を忘れてしまう。なんて責任感がないんだろう。感情の持続にはエネルギーが不可欠であることを思い知る。


たのしかったこと、つらかったこと、かなしかったこと、しあわせだったこと。感情が動いたこと。

どれも大事にとっておいて何度も確かめたいのに忘れてしまって、まるで初めて出会ったかのように再会する。一度でも、確かに感じたはずなのに。それはポジティブである一方で、とてもさみしいことだ。


わたしは何を忘れているんだろう。

軟骨にピアスを開けた。

ピアスを開けると、なぜだか安心する。

私は皮膚が弱くてホールがなかなか安定しないのだけど、それでも性懲りも無く開け続けている。


初めてピアスを開けたのは、高校2年のときだった。当時すきだった人が覚悟のしるしに、と開けているのを真似て、彼に開けてもらった。そのとき何を覚悟したのかは覚えていない。でも、開けるときはいつも何かを区切ろうとするときだ。


軟骨に開けたのは初めてだった。いっこめは失敗してしまい、その数日後にもう一度開けた。その子はまだ馴染んではいないものの、私の耳に居てくれる。


ホールが安定した頃には、最初の頃のような安心感は消えてしまう。多分、ある種の達成感のようなものを感じたいのだと思う。痛みをこらえることができたという証。


就職が決まったから、いままでのように何も気にせずピアスを開けることはもうできない。でも、それでも、きっと私はまた震える手でピアッサーを耳にあてるだろう。

帰省をすると、改めて友人の死を実感する。私が帰ってくると、深夜に落ち合ってぶらぶらしながら話をするのが恒例だった。さみしい。半年経っても、彼女がいないことに慣れない。


帰省の前には、好きなひととさよならをした。というか、フラれた。

生きてるひとと死んでいるひと。どちらのお別れも、自分自身を消してしまいたくなるくらいつらい。わたしはひとりで立てないんだなと改めて痛感する。


6年ぶりに、高校の同級生と会った。もう繋がらないだろうなと思いながら送ったラインは予想に反して軽やかな返事を知らせ、深夜にファミレスでだらだら話をし、そのあと私のわがままで山に連れて行ってもらった。楽しい夜だった。


切れたと思っている縁も、切ってしまったと思っている縁も、思いの外薄くでも繋がっているんだな、とまで思ってしまったらつけあがりすぎだろうか。

でも、例え薄くでもいいから、私が好きな、大事なひとたちとは縁が繋がっていてほしいと切に願う。ひとりで立てない私を、どうか助けてくれる糸に。縋らせてほしい。ゆるしてほしい。

親戚の家の犬が亡くなった。

彼は祖父母の家にいる犬と仲が悪くて、あまり会えなかったし遊べなかった。

ぎゅうって抱きしめて顔をなめてもらってから見送りたかった。